456 南部藩城下町盛岡と建物散策 15年05月10日(金)

概要:弘前から東京への帰途かつて南部藩の城下町だった盛岡へ立ち寄り散策。晴天ならば1泊追加して12湖散策を目論んでいたが前日の天気予報で断念、ならば盛岡で途中下車昼食がてら、啄木・賢治ゆかりの盛岡市内を散策することにした。

盛岡城は「盛岡城跡」公園としてその石垣に面影をとどめていた。赤レンガの旧岩手銀行中ノ橋支店、昔の面影が残る紺屋町界隈を散策。

カメラ:DMC-GX1

レンズ:G X 12-35mm F2.8 P.OIS + M.ED 9-18mm F4.0-5.6

アクセス:JR盛岡駅

その他:「盛岡桜散策マップ」、「盛岡観光情報」、「もりおか啄木・賢治青春館

1/20 盛岡:午前11頃盛岡へ着く、どんよりとした空模様だった。

2/20 盛岡:昼食がてら市内を気の向くままに散策。駅前の目抜き通りを東へ200m程で北上川にかかるアーチの開運橋へ。

3/20 盛岡:開運橋をわたり北上川の遊歩道へ、チューリップと芝桜で彩られた斜面の花壇と北上川の上に残雪の岩手山、何とも整った情景だ、地図で見ると北上川はここから少し下流で雫石川と中津川が合流、更に2km程下流で梁川が合流し太平洋へ流れる。

4/20 盛岡:開運橋から道なりに800m程東へ歩き「盛岡城跡公園」へ。

5/20 盛岡:今に残された石垣が往時を偲ばせる。盛岡城(不来方城-こずかたじょう、とも呼ばれたとか)は北上川と中津川を外堀とした南部藩南部氏(20万石)の居城。

6/20 盛岡:石垣と枝垂れ桜、公園内に盛岡ゆかりの宮沢賢治・石川啄木の詩碑・歌碑を見かけた。

7/20 盛岡:春もみじだろうか。

8/20 盛岡:もりおか啄木・賢治青春館、石川啄木、宮沢賢治が盛岡中学で学び青春時代を過ごした盛岡の中津川の河畔に建つ「第90銀行本店本館(国指定重要文化財)」が啄木・賢治青春館として保存・活用されている。近くの赤レンガの「岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館」と共に盛岡における明治洋風建築のシンボル的な存在。設計者は啄木、賢治と同じ盛岡中学出身の横濱勉。

9/20 盛岡:高田博厚作「宮沢賢治」。

10/20 盛岡:前日訪れた「赤レンガ郷土館(旧秋田銀行本店本館)」のように明治期の洋風建築の銀行では窓口・営業部は吹き抜けが原則のようだが、こちらは吹き抜けではなく通常の1階(天井は城漆喰でかなり高い)だった。1階常設展示室、主にパネル、写真で啄木・賢治が紹介されていた。

11/20 盛岡:はめ込まれたプレートによれば「岩手銀行中ノ橋支店」とある。明治44年(1911)竣工時は「盛岡銀行本店」として建てられ、その後昭和59年(1984)岩手銀行本店新社屋完成により「岩手銀行中ノ橋支店」となったとか、一目見て東京駅丸の内口のあまりにも有名な東京駅赤レンガ駅舎を連想してしまった、設計が辰野(金吾)・葛西(萬司)建築設計事務所ということで納得。

12/20 盛岡:国の重要文化財「岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館」、このときは改修工事で建物の一部に足場がかかっていた。残念ながら中に入ることは出来なかった、一般公開は平成28年だとか。

13/20 盛岡:南部鉄器、さすが南部藩城下町だ。啄木・賢治青春館から北へ大通りを横切り「赤レンガの岩手銀行中ノ橋支店」→この紺屋町と中津川東岸に平行して趣のある町並が続く。町名は中津川を利用した染め物屋(紺屋)が集まっていたことに由来するとか。

14/20 盛岡:盛岡市の保存建造物指定の建物、藩政時代からの商家の姿を今に伝えているとか。

15/20 盛岡:こちらも盛岡市の保存建造物指定の建築物で「紺屋町番屋」、現在は地元消防団の第五分団事務所として使われている。

16/20 盛岡:紺屋町、老舗の酒蔵「菊の司」。

17/20 盛岡:中の橋から数えて北へ2番目の「上の橋」から下流の中の橋方面。

18/20 盛岡:岩手県民会館並びの公園、枝垂れが見頃だった。

19/20 盛岡:岩手県民会館、大ホール、中ホール、会議室などを備える多目的ホール。

20/20 盛岡:午前11頃曇り空の下この開運橋を起点に盛岡市内散策を開始、幸運なことに次第に空模様が良くなり昼食を含め4時間半ほどの散策を終え、再び開運橋へ戻り花壇と岩手山を入れたショットで2泊3日の東北桜散策を終え盛岡駅へ。